東京タワーが建てられたのは、もともとは増上寺の境内であった。
増上寺は、家康が徳川家の菩提寺として、慶長三年(1598年)に、江戸の裏鬼門にあたる現在の芝の地に移転したものであり、鬼門に配したのは、上野の寛永寺というのは、あまりにも有名な話である。
どちらの寺も、明治維新後、広範囲の境内が政府に没収され、現在の芝公園や上野公園へと繋がっている。
ちなみに上野公園の正式名称は「上野恩賜(おんし)公園」である。
(恩賜とは、”天皇から賜ったもの”という意味であり、上野動物園の正式名称も”東京都恩賜上野動物園”である。
つまり天皇から賜った動物園なのである。・・・
サル山一つでも、うやうやしく拝見しなければならないかもしれない?)
当時、東海道から江戸城への入口として、高い土地に建つ増上寺は人々の目印となり、品川付近からも寺の五重塔が見えていたとある。
正に増上寺は、江戸のシンボルでもあったのだ。
増上寺に五重塔があった事は以外と知られていないが、何と終戦間近の昭和20年に戦災で消失するまで、江戸時代より現存していたのである。
東京都内に現存する江戸時代に建立された五重塔は、上野公園内にある旧寛永寺の五重塔、池上本門寺の五重塔だけである。
ちなみに浅草寺の五重塔は鉄筋コンクリート製である。
(何と重要文化財である旧寛永寺の五重塔は東京都の所有物である。
宗教色そのものである五重塔を所有しているのだから、今さら尖閣諸島を所有しても驚くに足らないのでは?)
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増上寺の五重塔が消失してから、13年後の1958年12月に東京タワーは完成している。
増上寺移設から、実に360年後、同じ芝に建てられた新たなシンボルが東京タワーである。
東京タワーは、何と1年3ヶ月ほどの工期で建てられており、正に突貫工事であった。
この”突貫”とは、「突き通す」と言う意味だが、高層ビルなど無かった当時、文字通りに空に向かって突き通すような圧倒的な存在感であったに違いない。
電波塔として、運用が始まったのは年が明けた1959年である。何と私の誕生年である。
(比べてみれば、私は圧倒的な存在感とは、対極をなす人生を送っている・・・)
東京タワーのすぐ近くに有名な老舗の野田岩がある。
(”野田岩”とは、自らをどじょうと名乗る、岩のような顔をした総理とは、些かの関係も無い)
今さら言うまでもない創業200年の”うなぎ”の老舗である。
(柳川もメニューにあるので、どじょう総理と少しは関係があるのか?)
桜田通り沿いのビルに囲まれるように2階建ての蔵造りの本店があり、いつも行列が出来る人気店だ。
行列が出来ていた飲食店の前を、数年後に通ると潰れていた・・・何て事は珍しくも無いが、200年続いて未だに行列が出来るのだから、正に驚嘆に値する。
日本テレビの「行列が出来る法律相談所」に出演していた大阪橋下市長が率いる「維新の会」の今後の動向が注目されてる。
どこの内閣でも良いが、200年とは言わないが、統一された国家感ある人材で組織され、4年くらいは続いて腰を据えて国作りが出来る内閣が出来ないものだろうか。
(橋下市長の行く先々は、常に報道陣の行列であり、「行列が出来る大阪市長」になってしまった感がある・・・
近い将来、国会内に”橋下チルドレン”と呼ばれる少なからずの新人代議士が登庁する事を、容易に想像出来るが、総選挙後、維新の会がそれなりの議席数を取った場合、代表が現職の大阪市長、幹事長が現職の大阪府知事という状況のままでは、橋下チルドレンの大阪への携帯代がかさむに違いないのである・・・)
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東京タワー建設から53年、今年5月22日「東京スカイツリー」が開業する。
電波塔としては、世界第1位の高さ634m、展望回廊と名付けられた第2展望台の高さは、東京タワーの333mより遥かに高い450mであり、そこまでの入場料は、3,000円である。
JR山手線で最も短い駅間は、日暮里・西日暮里間であり、その距離約500m、運賃130円である。
ほぼ同じ移動距離ではあるが、横移動と縦移動の違いで、実に23倍の価格差であるが、人は縦移動には随分と気前が良いものである。
相対的に、人は高い所が好きな証かもしれない。
(やはり、先祖が猿だった事が影響しているのか?)
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ここの所の、東京スカイツリー開業へ向けての報道は、ますます加熱ぎみである。
その影響か、全国のタワーもちょっとしたブームの様相だ。
東京タワーも、昨年度の入場者数の241万人を超える、300万人の来場を今年度の目標としているそうだ。
本来のテレビ電波塔の役目も終え、スカイツリーへの注目度と反比例して、来場者減少かと思っていたが、どっこい増収を目論んでいるのである。
(高さ100mの通天閣が「面白さでは負けない!」とスカイツリーと張り合う大阪人の根性を見習えば、まだまだ東京タワーは安泰かもしれない。)
ちなみに、通天閣は、国の登録有形文化財である。
(何と、別府タワーも名古屋テレビ塔も登録有形文化財だ。
全国に8,300件を超える登録があるので、その辺の古家を試しに申請してみると良い。
文化財と言い張る相当な根性を擁しても、受付すらしてくれない事請け合いだが・・・)
フランス革命100周年にあたる1889年のパリ万国博覧会に向けて建設されたエッフェル塔は、建設のほぼ100年後の1991年、セーヌ川周辺も含め世界遺産に登録されている。
日本の高度成長時代のシンボルでもある東京タワーも、この際だから、歴史的な財産としての登録をするべきと考える。
昭和20年の敗戦で、焼け野原となった日本が、そのわずか13年後に完成させた東京タワーは、東京スカイツリーとは異なる53年間の深い歴史を刻んでいるのである。
(改めて我が53年近い人生を省みれば、これと言った歴史の無い事に、今更ながら気付かされる今日この頃である・・・)
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前話で書いたが、痛風の症状が顕著化する前に、初めての医院へ足を運んだ。
次なるかかりつけ医である。
初対面の診察で当然ながら「どうされましたか?」で始まる訳だが、「持病の痛風で・・・」と今までの処方薬を医師に見せた。
「分かりました」といきなり28日分処方して頂いた。
血液検査も尿検査も何にもなくである。
しかも「他にありませんか?」と聞かれた。
言えば、何でも処方してくれそうである。
次回、行った時には、「56日分処方して下さい」と言うつもりである。
多分、してくれるに違いない。
・・・本当に、これで良いのだろうか?