エコロジーふとん専門ネットショップ グッスリー
2008/06/07
後期高齢者医療制度も考える。
 先月末、20年以上ぶりに再開した3回目の400cc献血をした。
 昨年の9月、今年の1月、そして今回の5月と、年間最高3回という400cc献血基準の中でもかなりのハイペース献血である。
 5月の手帳を振り返ると、いつもながら真っ黒であったが、月末に所用で松本・東京へと駆け足研修視察からの帰宅直後の疲れも残る中で、体重50kgの私の400cc献血は少し無理があったのかもしれない。

 献血が終わりに近づく頃から、血の気が引いてきて、顔も身体も青くなり、頭がボーッとなり、気分が悪くなってきた。
 若い看護士さんが気づいたのか「もう少しですよ!」「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。
 で、「中止しましょうか?」と言われるかと思いきや、「あと100ccです!」と結局400ccを抜かれる訳である。
徒歩でフラフラと自宅にたどり着くと、茶の間のソファーで暫らく横たわる事となったのである。

 それから5日後、半日潰して毎年行う健康診断に行って来た。昨年の7月以来である。
 尿検査・血圧・バリウム検査などをはじめ血液検査も当然あるのである。

 毎年、血液検査では高コレステロールで引っかかり、最後に居残らされ保健士さんから食生活等の指導を受けるのが恒例行事である。結局、何の生活改善もしていない日常生活だから、毎年同じ項目で引っかかり、同じ指導を受けるハメとなる。
 ある保健士さんに「何のために毎年検診に来ているんですか!」とお叱りを受けた事があるが、至極真っ当なご指摘である。

 しかしである!今年はコレステロール値が大きく下がり、居残りの保健指導が無かったのである。
 何故か見当が付かなかったが、私なりに出した結論、それは「献血」である。

 多分、8ヶ月間で400cc×3回=1200ccの献血が、血をサラサラにしたに違いないのである。
 というよりただ薄くなっただけかもしれないが、数値は確実に改善されるたのは事実である。
 世のため人のためになり、コレステロール値も下がるという一石二鳥ではないか。
 多少のフラフラ感があっても時間を置けば元に戻るのである。

 私の次回献血可能日は9月20日である。
 
********************************

 日本では、国連の定義に従い、65歳以上を高齢者という。
 高齢とは”年老いている”という意味であり、高齢者とは”年老いた人”の事であるが、何故か”老人”と言うより聞こえがいいのが不思議である。

 そこに”前期”とか”後期”が付くとにわかに印象が悪いらしい。
 今、大騒ぎの「後期高齢者医療制度」である。政府は慌てて「長寿医療制度」という通称をつけたくらいだ。

 今から34年も前にシカゴ大学のB.ニューガートン教授が、「ヤング・オールド」「オールド・オールド」という言葉を提唱している。
 日本で言う前期高齢者(65歳から74歳)と後期高齢者(75歳以上)の事である。
 英語では、何となくかっこよく聞こえる「オールド・オールド」はそのまま和訳すると”老けに老けた”という意味となり結構きつい言葉である。
 「後期高齢者」のほうがまだマシだと思うのは私だけだろうか。

 そもそも前期・後期とは中間点からの前半・後半をさす言葉である。
 75歳が中間点とするのであれば、そのまま後半10年を足すと85歳までが後期高齢者と言ういじわるな取り方も出来る。
 日本人の平均寿命は、WHOの07年度版の発表によると男性79歳・女性86歳である。
 そうすると、女性で見るとほぼ中間点であり、75歳以上を後期高齢者というのは、それなりに当たっていると思はないでもない。

 しかし男性の場合平均寿命の79歳まで生きたとして、後期高齢者人生はたったの4年と言う事になる。
 これでは後期と言うより実質”晩期高齢者”である。
 そう考えると、”晩期高齢者”より”後期高齢者”の方がマシじゃないかと笑い飛ばすくらいのご年配者が、もっといても良いのではと少しだけ思うのである。

 私が後期高齢者だったら、名称程度の入り口論議で騒いだりしないだろう。(たぶん?)
 と言うより、それまで生きている保証も無いが・・・

********************************

 そもそもこの制度前の「老人保健制度」は今後限界があり、増え続ける医療費、特に高齢者分の医療費を明確化し、現役世代からの拠出金も併せて明確化するための新制度である。(こう言うだけで何だか難しい)


           UP

 制度上の大改革なのであるが、政府・厚生労働省・与党と、その説明があまりにも少なすぎた。
 何よりも複雑すぎて、理解に苦しむこの制度をいわゆる「後期高齢者」に理解していただくのは相当な説明がいるのである。
(その前に、この制度をどこまで理解しているのかと、疑いたくなる国会議員のセンセイ方もいる?)

 この制度実施前の後期高齢者の殆どは、地域保健である国民健康保険に加入していた。
 国民健康保険は市町村単位で組織される。
結果的に過疎の小さな市町村は、高齢化がどんどん進んでいるため、支える現役世代が少なく、その保健料は高くついてしまう。
 同じ収入でも、都会に住む加入者と田舎に住む加入者の国民健康保険料は、田舎の方が大幅に高くなっている。
 (介護保険料も同じ傾向が言える)

 これはそもそも憲法14条1項の”法の下に平等”に違反すると私は思うのである。
 (このコラムでは珍しく憲法が出てきました)
 何故なら、職域で加入する職域保険(被用者保険)としての健康保険(政府管掌保険・組合健保)や共済組合(公務員など)・船員保険などは、大都会に住もうが、山奥に住もうが、所得が同じであれば基本的に保険料は同じである。
 たまたま国民健康保険の加入者というだけで、住むまちにより保健料が大幅に異なるのはいかがなものだろうか。
(田舎のスナックと都会のクラブの料金が違っても十二分に納得するが・・・)

 これでは、高い保健料を払いたくなければ都会に住め!と言う事にもなり、益々過疎に拍車を掛ける要因にもなりかねないし、そうなれば地方の国民健康保険は将来的に破綻するのである。

 そう言った意味において、最も医療費のかかるいわゆる後期高齢者だけでも、市町村単位から都道府県単位の広域連合にした事は、少なくても一歩前進と私は考える。(と話はここに繋がるのである)

 当然、都道府県単位で平均を取る訳であるから、若者が多く税収の多い大都会の後期高齢者は優遇策も含めて軽減されていたので、この新制度で都道府県の平均値となり、いくらか負担増となるのである。
 逆を言えば、今までより下がる人も多いのも当然で、平均を取ると言う事はそういう事である。

 私は、国民健康保険制度が今後も続くのであれば、他の職域保険のように”法の下の平等”においても全国一律にするべきだと考える。(キムタク総理でも実現しないと無理かもしれないが・・・)
 しかしそんな事をしたら、保健料が下がる人は良いが、上がる人は大騒ぎするに違いない。(上がる人の悲鳴はTVでいっぱい映るが、下がって良かった!という映像は映さないのがこの国の報道である)

********************************

 この制度が今年度実施されるやいなや、野党は一斉に反発している。
 確かに不備も多いし、政府・与党の対応もあまりにも情けないし、準備不足・説明不足・・・数え上げたらきりが無い。

 この法律は2年前の2006年の第3次小泉内閣時代に成立している。
 参議院の過半数を取る野党は、先の6月6日に高齢者医療制度廃止法案を賛成多数で可決し、衆院に送付した。
 しかし、そんなに悪い制度と考えているなら、昨年7月の参議院での野党の勝利直後の制度実施前に廃止法案を出すべきと思うが、大きな制度改革実施直後に付き物の混乱に合わせての、廃止法案提出とは誰が見ても政局にからめていると見られても致し方ないかもしれない。
(衆議院与党が万一廃止にあっさり応じたら、野党はどんな対案を出すのだろうか?それはそれで見てみたい気もする)

********************************

 私も、小さなまちの市議会議員として政治家の端くれをさせていただいている。
 一昨年の12月市議会で、わがまちも後期高齢者医療制度における北海道の広域連合設置に関する議決が行われた。
 党派を超えての賛成であり、同じように北海道内180市町村全議会の賛同のもと広域連合の設立・加入が1年半前から進めてきた。
 それは、わがまちも含めて、小さなまちは例えば国民健康保険一つを取っても、その維持は益々大きな負担とっており、この「後期高齢者医療制度」という大きなエリアでの相互扶助の制度に期待を持ったのが大きな要因の一つに違いない。

 いわゆる自民党系・民主党系などと言われる市町村長・地方議員も、相互理解のもとに広域連合という下地つくりを1年半前から行っている地方の努力は、中央の政争政局がらみの罵り合いの中で、全く無視されているのがこの国の現状である。
(この際、キムタク総理の方がよっぽど良いかもしれない!
  って私はドラマ一話も見てませんが・・・)


      ほぼ月刊コラム TOPページへ