私は中国に行ったのは初めてである。
イギリスから返還前の香港と台湾に行った事はあるが。
と、ガイドの江さんに話たら、「台湾は中国です」と即答された。
そういえば台湾に行った時、現地のガイドさんが、「わが国は中華民国です」と自信を持って言っていたのを思い出した。
台湾は中華民国という国名もあり事実上独立統治されているが、国交を断絶している日本政府も、台湾という地域名称を使っている。
それもこれも日本はもちろん、殆どの国が中国(中華人民共和国)という大国を優先した結果である。
つまり、大方の国際的解釈に当てはめると、私は中国に今回で2回目と言う事になるのである。
いや、当時返還間近だった香港も数えて2.5回目と言う表現が適当かもしれない。
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租界とはイギリス軍の圧勝に終わったアヘン戦争後、1842年に結ばれた南京条約によって出来た行政自治権や治外法権、商業活動権をもつ外国人居留地の事であり、その後欧米の列強各国がこぞって上海に進出し共同租界となったのである。
租界と聞くと疎開を思い出す戦前世代の皆様も少なくないと思われる。
いわゆる学童疎開、集団疎開などである。
と言うよりか、いまや疎開を知らない人の方が多いのかもしれない。
戦後生まれの総理大臣が誕生し、憲法改正が声高になってきているのと少なからず関係があるに違いない。
当時の中国は清の時代であったが、イギリスは清からの茶葉、シルク、陶磁器などの輸入代金支払いのために、清にアヘンを大量に密輸し、国民をアヘン(麻薬)漬けにした上に、言いがかりを付けて起こしたのがアヘン戦争である。
圧倒的な軍事力で勝利したイギリスが清に結ばせたのが南京条約という不平等条約である。
清は多額の賠償金のほか、香港が割譲され上海などの5港の開港などを余儀なくされたのである。
ここの所日本は、靖国問題などで象徴されるように、とかく中国政府に過去の大戦にかかわる日本の対応を大きな問題として取り上げられてきたが、第二次大戦に遡ること約百年、同じ位にイギリスをはじめとする列強の暴挙の歴史を取り上げてほしいとも思わなくはない。
しかしながら歴史を遡りだすときりが無いのである。たとえば中国が元の時代、日本を侵攻に来た2度の元寇を、今更日本が非難をしてもしょうがないのである。
一体、歴史的負の遺産は、どの時点で清算されるのであろうか。
そんな事を考えながら、上海を旅をしたかどうかご想像にお任せする。
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ここでやっと前話に続くのである。
租界時代のアールデコ調などの石造りの荘厳な建築物が黄浦江の川沿いに残されている外灘(ワイタン)地区に行く。
黄浦江という川の西側に名建築物がおよそ1500mにわたって建ち並ぶ上海最大の観光スポットである。
しかしながらその殆どは築後80〜90年程度であり、歴史的建造物としては非常に新しい部類である。
単なるテーマパークなどとして作られた建造物は、年数を重ねても朽ちて行くだけであるが、歴史的背景がしっかりとした建造物は、これから年数を重ねるごとに更に重みが増すのである。
これは人の生き方にも重なる部分が少なく無い。上辺っ面だけで生きていても、人としての重みは増さないものである。正に反省するところ大である。
ビック・ベンじゃなくビッグ・清と呼ばれた時計台
外灘エリアを一望できる遊歩道を散策した後、トイレに行きたくなった事を江さんに伝えると「お茶を飲んで休みましょう」と、ある店に案内された。
そこは「中国茶専門店」だった。トイレから戻ってテーブルに家族3人で座ると、日本語の上手な女性店員さんが、いきなり様々なお茶の説明を始め、試飲を勧める。
海外旅行ではよくある現地旅行会社とつるんだ日本人観光客専門の店である。
決して買う必要はないが、こういった店のバックマージンが江さんなどの貴重な収入源の一つである事は事実であり、一通り聞いてあげるのも礼儀である。
日本人、いや私は何と優しいのであろう。
決して安くないと分かっていながら、そのお茶に関心をもったカミさんの流れに合わせて、結局の所少なからずのお茶を購入をした。
催眠商法業者に騙されていると分かっていながら高額商品を購入してしまうお年寄りの気持ちが何となく分かるような気がした。
帰りの空港内の中国茶売場などで比べて見てみると、思わぬ高額であった事に気がついても、もう既に遅いのである。
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さて、外灘を後にして、租界時代前に最も賑わっていたと言われる豫園(よえん)地区に行く。
250年ほど前に作られた小じんまりとした古代庭園豫園を中国伝統建築の様々な店々が一大マーケットとして囲んでいる。
ここも上海観光では外せない豫園地区である。
庭園を江さんのガイドで一巡して、ようやくその日の昼食タイムである。
小籠包で超有名な南翔饅頭店での昼食をと思っていたが、さすがの人気店、長蛇の列で諦める。
何しろ私は並んで待つという事を基本的にしないのである。
こうなったら、夕食はいっその事上海一のレストランを予約しようと、上海料理と言えば必ず筆頭に紹介される王宝和酒家を江さんに予約してもらった。
小泉前首相も「感動した!」と言ったかどうか定かではないが行かれた事のある有名レストランである。
昼食にお手軽な小籠包にあり付けなかっただけの事であるが、我ながら思わぬ展開である。
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さて、適当に昼食を済ませて、かつてのフランスの租界エリアにあたる推海路(ワイハイルー)を散策する。
プラタナス並木のおしゃれなショッピングロードである。
途中のスターバックスで休憩したが、店員も客もとにかく中国人は声がでかい。
コーヒーショップなのに、さながら大入りの日本の居酒屋のようである。
そういえば韓国人も声がでかい。
大陸から渡ってきた日本人、いったいあの大声をどこに忘れてきたのだろうか。
その後、これまた有名な玉仏寺に行き、夕方を迎える。
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いよいよ夕食である。
上海と言えば上海蟹である。
ガイドの江さんが言うには、「上海で一番美味しい上海蟹は世界で一番美味しい上海蟹」と熱弁。
そう言われればそんなような気になってくる。先に予約した王宝和酒家は上海で一番の上海蟹レストランだから、江さんの理屈では世界一の上海蟹の店と言う事になるらしい。
と言うより世界中にそんなには上海蟹料理店は無いので、説得力のあるような無いような話ではあるが。
たとえば世界一美味しい讃岐うどん店と言われてもピンとこないのである。
上海蟹づくしコースと三男坊
毛蟹の半分ほどの上海蟹は、美味しいのだが、そんなに食べる所は無い。
しかしながら、さすがに上品な蟹づくしのコース料理であった。
上海人にとって上海蟹の季節に何ハイ食べたのかが常に話題になるそうである。
1パイ2千円から3千円する上海蟹は、上海庶民の収入からすると高価な贅沢品でステータスにも値するらしい。
日本の松茸に近い存在なのかもしれない。
そういう私は、ここ数年松茸を食べていないかもしれない。
なぜだか考えてみたが、そう、私は基本的にキノコ類はあまり好物ではなかった。
論外ではないか。
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さて、夕食を終えネオン輝く上海を代表する繁華街である夜の南京東路を散策した後、黄浦江の遊覧船でナイトクルーズを楽しんだ。
最後には中国伝統の足裏マッサージまでを体験する。
どう見ても成人前のスタッフが、漢方の薬足浴からはじまり1時間ほど掛けてマッサージをしてくれる。
何故だか隣のカミさんには若い男性が、私には若い女性が担当する。
昨日の移動日から今日1日の疲れまで一気に吹き飛んでしまう気がするのも不思議である。
何と、ホテルに戻ったのは10時過ぎであった。てんこ盛り上海ツアーの1日が終わったのである。
しかも江さんは延長サービスで全て案内をしてホテルまで送ってくれたのである。
結局の所、中国茶をお付き合いしておいて良かったと思ったりもした。
本当に我ながらその都度勝手である。
上海を代表する繁華街南京東路の夜
ナイトクルーズで、船中から見る外灘の夜景
いよいよ明日は観光の後半、思い切って蘇州まで足を伸ばす事となったのである。
(次回につづく)