S&B(エスビー食品)、P&G(洗剤やパンパース等でおなじみの・・・)、J&B(色々ありますが、私はスコッチ・ウィスキーを思い浮かべます)、 R&B(おしゃれな・・・リズム&ブルース)、そしてB&B(紅葉饅頭!・・・当時なんでウケたんだろう?)
で、今一番耳にするのが”M&A”である。
(”もろきゅう&揚げ出し豆腐”でも”もずく酢&アジフライ”でも無い・・・居酒屋はいいなぁ〜)
企業の合併・買収の略であるが、今まさにライブドア、ニッポン放送、フジテレビ、ついにソフトバンク・グループまで出てきての大騒動で、この言葉を耳にしない日は無い。
どう収拾されるのか、私にはさっぱり分からないが、NHKまでもが連日トップニュースで取り上げている。
結果的にNHKの不祥事問題などは、すっかり陰に隠れてしまった感がある。 (ずるいぞ!NHK!)
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本来、人間の寿命は120歳位と言われている。
と言ってもそこまで生き延びる人は世界的にも稀有で、みんな何らかの病気や事故でもっと早くお亡くなりになる。 人間の天寿は120歳とも言える訳で、”天寿を全うする”と言う言葉があるが、実際には殆どいない事にもなるのかも(?)
(私は天寿より萬寿・千寿の方がいい。
・・・って、銘酒久保田の銘柄ですが)
個人の寿命は120歳からの引き算と考えれば分かりやすい。もちろん先天的な丈夫さも大きく左右するだろうが、身体に悪い生活をすればするほど、引く年数が多くなり、早死にする可能性が高い。
(私の場合、飲酒・運動不足・・・・
何よりストレスで早死にするに違いない?)
昨年12月、ケンブリッチ大学の遺伝学者オーブリー・デ・グレイ博士が、今後20年以内に人間の寿命は1000歳を超えるというものすごい論文を発表して話題になった。
博士によると、老化は身体的現象の一つに過ぎず、今日解明された多くの疾病のように、その原因を突き止めることで老化を阻止することが出来ると断言。老化防止実現に、かなり近い所まできているそうである。
(もしも博士の言う通りそんな事になったら、年金の支給開始は65歳から、650歳くらいまでいっきに引き上げられるに違いない。)
そこまで極端じゃなくても、今後の科学技術の発展を考えると、人間は150歳も200歳も生きなければならないと言うアメリカの学者を以前TVで見た。
今後更に科学が進めば進む程、先端科学を習得するまでの年数がどんどん増えざるをえないからだそうだ。
現在でも、大学や企業の研究所で研究している科学者などは30年も40年も勉強を続けているのである。 (やっぱり私は布団屋で良かった。)
これが近未来、80年、100年という勉強が必要になると、今の寿命じゃ到底足りなくなる訳で、必然的に150歳、200歳という寿命が最低限必要であるという理屈である。
(皆さん、未来に生まれ無くてよかったですね。)
その学者が言うには、どんなに科学が進歩しても、「おぎゃ〜」って生まれた赤ん坊はいつの世も同じだから、当たり前だが基礎からの勉強を積み上げて行かなければならないのである。 (その通りである。未来の子供は50音も九九も省略して、いきなり因数分解って訳にはいかないのである)
本当にそうなるかどうかは別にして、やはり基礎的な学習の習得が、いつの世も重要という事である。
(と、ここまでが前フリである・・・長い?)
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最近、ふと思い出す事があった。
私が小学生高学年の頃、”ゲルマニウム・ラジオ”と言うものを作った事がある。
コイルとバリアブル・コンデンサとクリスタル・イヤホンとゲルマニウム・ダイオードというたった4種類の部品で出来上がる最も簡単なAMラジオである。
ラジオの最も基本的な原理が分かり、今でも無線回路入門のイロハのイである。
現在、超高度な無線機である最新の携帯電話を作っている技術者でも、無線工学の勉強は、このイロハのイから始まるのである。
(まぁ、いま携帯電話を高度な無線機と思って使っているおネエちゃんは殆どいないだろうけど・・・)
さて、この単純な”ゲルマニウム・ラジオ”を組み立てて、ワクワクしながらイヤホンを耳にした記憶を鮮明に覚えている。
”ゲルマニウム・ラジオ”は、音声信号の増幅回路が無いので、蚊の羽音のような微弱な音しか聞こえないが、その原理を何とか理解して実際に聞こえた時の感動には、忘れないものがあった。
思えば、私の子供も含めて、今の子供達は、物や様々な現象や原理に対する好奇心や疑問が余りにも無さ過ぎると感じてしまう。
例えば男の子の世界では、私が子供の頃は、周りにあった多くのものは比較的単純なものが多く、「なぜラジオは聞こえる?」 「なぜモーターは回るの?」などの疑問の解消に、手作りの実験も出来たのである。 何しろ、当時のおもちゃの動力源はぜんまいが主流で、モーターが入っているだけで高級品であった。 (って、我家が貧乏だっただけ?)
それに比べて現在は、生まれた直後からIC化されたおもちゃに囲まれ、パソコンはもちろん家電品に到るまで、中身が高度過ぎて子供はおろか、大人にとってもブラック・ボックス化している。
子供 パパ、どうしてTVゲームはこんなふうに
遊べるの?
父親 ・・・・・早く、歯を磨いて寝なさい!
何て、言ってませんかぁ〜?
このように子供たちが物に触れたり・作ったりする機会が極度に少なくなった現在、微分・積分が得意でも棚も吊れない男子学生や、あんなに携帯を器用に使いこなすのに玉子焼きも焼けない女の子に育ったりするのである。
(ぜんぜん関係ないじゃん!って言われそう)
これでは当然創造力が育つ要素も少なく、技術立国ニッポンの足元が揺らいでいるのである。
その上、学生の理科離れが益々進んでいる。
日本の場合、技術系職より事務系職の方が、生涯給与が高く、昇進もしやすい。
大学費用は逆に理系の方が多くかかる訳で、学生の理科離れは、ある面当然かもしれない。
(なのにウチの長男も次男も理系まっしぐらである)
”ゆとり教育”の見直し論の多くは、授業時間と学習内容を増加させ、低下ぎみの学力を向上させようとする意見が圧倒的に多い。
しかし、ただ詰め込むだけの画一的教育を強化して、国際学力調査の順位が少し上がったからって、何なんだっていうのであろう。
(その反動で、不登校・引きこもりが増えるだけかもしれない)
いまの教育を見ると、もっと基本的な事が忘れられているような気がしてならないのである。
何よりも、どうしてオトナ達の考え方に、こんなに ”ゆとり”が無くなってしまったのであろうか。
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気がつけば、このコラムも48話目である。
先日、ある人に言われた・・・
「見事に、本業と何ら関係のない話を書き続けているよね〜」
う〜む。確かにこのコラムは、布団屋のショッピング・サイトの一部だった・・・
まぁ、そういう事ですから。 (何が?)