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2011/04/03
東日本大震災と日本人のGAMAN
 3月11日は、日本人にとって忘れられない、いや決して忘れてはいけない日となってしまった。

 東日本大震災で被災された方々に謹んでお見舞いを申し上げ、一日も早く被災地が復興することを祈念いたします。

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 大津波は、北海道・青森から千葉までの太平洋側の広範囲に想像を絶する被害をもたらした。
 宮城県などでは、まちの機能の殆どを流されてしまった自治体もある。

 1995年、阪神・淡路大震災と同年5月28日、ロシアサハリン州北部の人口約3,500人のネフチェゴルスクという町で起こった直下型地震により、町は壊滅、2,000人以上が犠牲となった。
 ロシアは、町の再建を早々と諦め、現在は慰霊碑が建立されているにすぎない無人の町となっている。

 さて、今回の大震災において、日本で同じような地域が生まれるだろうか?
 私は決してそうは思わないのである。

 今回の大震災において、海外では、日本人の秩序・冷静さ・精神力に驚愕し賞賛をしている。
 暴動も略奪も起きず、現状を受け入れ、自身に我慢を強いる姿に感銘する外国人の声が圧倒的に多い。

 私は、平成7年(1995年)に起きた阪神・淡路大震災の避難所支援に芦屋市でボランティアをした経験があるが、今回の大震災においても、日本人の不屈の精神が、必ずや復興させるに違いないと考えるのである。

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 天災が多い日本、特に地震は4つのプレートがぶつかり合う地理上の特性から、世界で起きるマグニチュード7以上の地震の10%は日本周辺で発生していると言われる。

 歴史上、数え切れない程の天災と付き合わずにはいられなかった日本人にとっては、好まざるも天災を受け入れる素養が育ったのかもしれない。
 震災から2週間も過ぎて満足に避難所に物資が届かない状況時、一部の海外メディアは、「日本政府は発展途上国以下だ」と報道したが、避難所に身を寄せる住民から、政府への非難が声高に聞こえないのは、「天災」を受忍する日本人独特の高い精神力があるような気がする。

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 さて、「1000年に一度の大地震であり想定外」と天災を強調する東京電力であるが、いずれ検証が進むと思うが、限りなく「人災」に近いものと言えるだろう。

 海外では、大津波よりも高い場所に設置された東北電力の女川原発や、日本原子力発電の東海第2発電所が原子炉を安全に停止できたのに、福島第1原発だけで被害が拡大した点を既に問題視している。
 また、海外発で株主代表訴訟が起きる可能性も指摘されている。

 日本政府は、原発への事故対応を東電まかせの上、東電からの情報不足に対して、菅総理を筆頭に怒りをぶつけているが、そもそも原発を推進してきたのは、日本政府であり、国が設置した原子力安全・保安院、原子力安全委員会が、今回の震災で最大限機能しているとは言い難い。

 営利企業である東電は、会社の利益を優先した行動となりやすい状況にあり、廃炉阻止優先の事故対応があったとすれば、結果的に無くても良かった被害と日本に対する不安をただただ拡大させた事となる。
 日本全体に正に天文学的損害額を与える結果となりそうである。
 政府としての初動における決断が何よりも重要であったはずだが、今になっては悔やんだ所で元には戻らない。


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 総理大臣は、官邸に座して大局を見極めた決断を指示する立場と考えるが、それどころか、この国難時の誤った政治主導により、中央官庁すら十分に機能していないようである。
 とても危機管理に優れているいるとは思えない素人まがいを何人官邸に集めれば国民を守れると思うのだろうか。
 そもそも原発の担当は、官房長官ではなく経済産業大臣であり、防災担当大臣もいるのである。
 自ら任命し、自ら「最強内閣」と自画自賛した担当大臣には危機管理能力が無いことを奇しくも事実上認めている事となるのである。

 世界中に感銘を与えている日本国民と対極をなして日本政府は今、世界中に不信・不安を与え続けている。
 在京の外国人の多くが、一斉に帰国せざるを得ない事だけを見ても、日本政府への不信感の現れである。
 これも日本にとっては大きな「人災」ではないだろうか。

 今は何よりも、一刻も早い原発の一定の沈静化と収束を目指し、命がけで戦っている現場作業員の方々に、心底から敬意を表す所である。

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 東電の電力不足は危機的なもので、抜本的に解決するには、多くの年月を費やすだろう。

 都会は大需要地で、地方は供給地域という構図が加速する一方だ。
 関東の野菜の主な供給地は、北関東であった事が今回の放射線問題で改めて気づかされた人も多いと思われるが、あらゆる食材・工業部品や空気・水そして人材まで地方は都会に供給をしている。
 そして電気もである。

 一方、大消費地でもある東京には、いまだに日本の政治・行政・経済・金融・文化そして人口と、一極集中が進んでいる。

 東京圏と言われる東京・埼玉・千葉県・神奈川の1都3県の人口は約3,700万人、日本の人口の3割がこの地域で生活をしている。

 大正12年(1923年)に起きた関東大震災規模の大地震が今、東京で起きたら、日本そのものが沈没する可能性が高い。

 この大震災を契機に、日本を災害に強いリスク分散型社会にする「グランドデザイン」を作るべきである。

 この国のカタチをこうして行きたい。
その決断により、何をどこに分散し、どこに集中投資をするかが自ずと見えてくる。

 電力問題の解決も、グランドデザインに沿ったものにしなければ、根本的解決にはならないだろう。

 それをするのは、政治家である。
この際、不要不急な政策は凍結し、プライド・小異を捨て、与野党の垣根をはずしてこの国難に立ち向かい、日本の将来を創造しなければならないのである。
(お揃いの防災服を発注している場合では無いのである)

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 以前より「TSUNAMI」は海外で使われる日本語だったが、この震災で
「FUKUSHIMA」という日本語が有名になってしまったのは、その背景が原発事故によるものであり、福島県民の方々にとっては複雑な心境に違いない。

 更にもう一つ「GAMAN」と言う日本語が海外で知られるようになった。

 「我慢」・・・日本人が耐え忍ぶ姿から、高貴さと勇気が世界中に伝わっている。
 この我慢を乗り越えて、日本という国を一から建て直す気迫が、政府から感じられないのが真に気がかりである。

 明確なビジョンとリーダーシップが政府に見えて来てこそ、被災地の方々の極限の我慢にも、展望が見えて来るのではないだろうか。


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