エコロジーふとん専門ネットショップ グッスリー
2007/11/06
素晴らしい大人の世界。
 大人とは、日本では法律的には成人に達した人を指す。つまり20歳を過ぎると大人となるのである。
 「あの人は大人だ」と言う場合は、法律上の成人を意味するものではなく、考えや態度が一人前であり、社会的な責任を負えることを表している。

 ここの所、素晴らしい大人たちが少なくないので、少しばかり書かせていただく。
(人の事をどうこう言えたものじゃないが、自由に意見を述べられる日本に住んでいる事に感謝するばかりである)

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 朝青龍、そして高砂親方。
この角界を代表する二人の大人に、相撲界が翻弄されている。
 前時津風親方に至っては、もはや私など凡人が口を挟む余地も無い。

 相撲道の”道”は”人の道”でもある。
この”道”という一文字が、この素晴らしい角界の大人達によって、無くなってしまう歴史的瞬間を私達は共有出来るかもしれないのだ。
 そう、相撲が単純なる格闘技として変わる貴重な時期の体験を、彼らが与えてくれるかもしれないのである。
なんて素晴らしい。

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 亀田大毅のタイトルマッチを、私は残念ながら観ていない。

 亀田三兄弟のトレーナーであった父史郎氏を、早い時期よりあらゆる面からサポートし、独特のトレーニング方法を報道する事により、視聴者を引き込んだマスメディア。
 長男のデビュー戦から始まり、過剰なパフォーマンスと演出をセットにして、この親子をその気にさせてしまったマスメディア。

 この試合後、マスメディアは一斉に亀田一家へのパッシングが始まった。

 まさに父史郎氏が大人げなかったのが全ての原因のように、まるで正義の味方のごとく手のひらを返して攻撃をするマスメディアの変わり身の早さには感心するばかりである。正に大人の世界である。

 謝罪を含めた兄弟の記者会見では、自分こそ”正義”であるかのような記者やレポーターの質問の類いに、またまた感心するのである。

 パッシングが一段落して、メキシコに行ったとかどうとかで密着報道である。
 一体何を伝えたいのか、大人の考えまでたどり着かない私には、さっぱり分からないのが残念である。

 この素晴らしいマスメディアという大人の世界に巻き込まれ、若き三兄弟が揺れ動く状況をリアルタイムで楽しむ・・・
 日本は素晴らしい大人の世界である。

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           UP

 最近、古舘伊知郎氏の午後10時代のテレビ・ニュース番組を自然と視なくなってしまった。
 彼の一見薄っぺらに聞こえるニュース・コメントの奥にあるであろう深いメッセージを読み取ろうと努力するのだが、私の能力不足により、いまだ無理だからである。
 実に大人とは難しい。

 ついでに言わせていただくと、みのもんた氏のテレビも観ない。
 その理由は古舘氏のそれと基本的に同じである。
 ただ、みの氏については一つ加えるとすると、彼の生き方から生まれる人生観を、堂々と人に押し付ける所が、私のような軟弱な生き方をしてきた者には、刺激が強すぎるからである。

 みの氏の番組にチャンネルを合せる程度の事からも逃避する私は、いつになっても立派な大人とは見られないに違いない。

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 先日、あるTV番組で小沢昭一氏(78)が細木数子大先生(69)の占いコーナーに出演していたので、珍しく視ていた。

 私は、そもそも細木大先生の番組など普通に視ないのである。
大体が占いなどという奥深い大人の世界を理解出来ない未熟者だからである。

 滅多にテレビに出ない小沢氏は、言葉少なく見事にとぼけて、細木大先生を困らせていた。
 「細木! 大統領!」という小沢氏の言葉で、大先生も撃沈状態であった。

 三流タレントの芸名を次々と改名までさせたが、その運気の上昇事例など殆ど無い中、”そんなの関係ない”状態で堂々とTV界と占い界に君臨する素晴らしい大先生も良い所無しであった。

 こういった小沢氏のような”とぼけた味のある人”というのは最近貴重である。
 小沢氏は大先生と違って、何も押し付けず、何もひけらかさず、おごれる事もしないところが良いのである。

 この”とぼけた味”というのは、誰にでも出せるものでは無く、結構難しいものである。
 そもそも”とぼける”には、「頭の働きが鈍くなる。ぼける」という意味もある。
 薄っぺらな人生を過ごし、ただとぼけてばかりいれば、本当にとぼけてしまうかもしれない。

 根底には、深い経験と周囲への気遣いが備わっていてこそ、真の”とぼけた味”がかもし出されるのかもしれない。
 これも完成された大人の一つのカタチと思った次第である。

 私は、大先生より、小沢氏に”大人”の生き方を感じる一人であるが、50歳を目前に控えながら、本当に大人の世界は難しいと感ずる今日この頃である。

 

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